入院生活の中で思う事や「てんかん」に対しての想いをちょっと吐き出しちゃったりしています☆
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sanamingo
年齢:
30
性別:
女性
誕生日:
1981/11/29
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このブログは
広島の
私の部屋で
書いています
初めてです
こんな事は
このブログを
立ち上げてから
ずっと
病院の
ベッドの上でしか
このブログは
書いてこなかった
私は
広島に
帰ってきたんだ
静岡から
帰る道中
母と
この3ヶ月
を振り返って
話をしたんだけど・・・
何をどう話していいのか
うまく伝えられているのか
なんか
ブログでの方が
うまく伝えられるんじゃないのか
って思ってしまったよ(笑)
それくらい
伝えきれない
てか
当たり前
そんな
短時間じゃぁ
伝えられない
ものを
私は
経験したのだから
広島に
着いて
タクシーで
家に向かう
途中
何にも
何一つ
変わっていない
広島を見た
当たり前
3ヶ月
そこらで
街が
変わるわけがない
何一つ
変わっていない
広島を
見て
笑った
笑って
ホッとした
んで
変わらない
我が家を
見て
笑って
ホッとした
んで
自分の部屋
見たら
なんか
勝手に
模様替えされてた・・・
それはそれで
うけた
(笑)
ご飯は
父と
母と
弟と
3ヶ月ぶりの
4人での
食事
だった
私の
てんかんは
たいしたことない
って言ったら
怒られるかもしれないけど
てんかんか
てんかんじゃないかと
言われれば
間違いなく
てんかんで
でも
ぎりぎりてんかん
みたいな
感じがする
みたいな・・・
この辺の
ニュアンス
難しいんだけど
何が言いたいかっていうと
そんな
ぎりぎりてんかん
みたいなのに
なんで
私は
てんかんなのか?
そして
なんで
「てんかん」
なのか
他の病気
ではなく
「てんかん」
だったのか
そこには
ちゃんと
意味がある
私は
他の病気ではなく
「てんかん」で
よかったと
思っている
てんかんは
とても難しい
まずはてんかん患者自身が
てんかんを理解しなければいけない
また
てんかんには誤解や偏見がある
そして
個性のある病気
色んな患者がいる
私は
てんかんを通して
ホントに多くを学んだ
そして
これからやるべきことも
たくさんある
てんかんに対して
やるべきことが
ある
それが
私が
てんかんである
意味だと思う
「私」
がてんかんである意味
今日で
「SANAMIの闘病(?)日記」
は幕を閉じます
今まで読んでいただき
本当にありがとうございました
みなさんに
読んでいただけていたことは
私の励みになっていました
本当にありがとうございました
これからは
私の
新たな
スタートが
始まります
これからも
頑張って生きていきます
いつまでも
言葉を大切に
感謝を忘れず
生きていることを感じて
私らしく
ありがとうございました
これからの
私は
「SANAMIの徒然日記」
sanamiturezure.blog.shinobi.jp/
でお会いしましょう(笑)
本当に
ありがとうございました
広島の
私の部屋で
書いています
初めてです
こんな事は
このブログを
立ち上げてから
ずっと
病院の
ベッドの上でしか
このブログは
書いてこなかった
私は
広島に
帰ってきたんだ
静岡から
帰る道中
母と
この3ヶ月
を振り返って
話をしたんだけど・・・
何をどう話していいのか
うまく伝えられているのか
なんか
ブログでの方が
うまく伝えられるんじゃないのか
って思ってしまったよ(笑)
それくらい
伝えきれない
てか
当たり前
そんな
短時間じゃぁ
伝えられない
ものを
私は
経験したのだから
広島に
着いて
タクシーで
家に向かう
途中
何にも
何一つ
変わっていない
広島を見た
当たり前
3ヶ月
そこらで
街が
変わるわけがない
何一つ
変わっていない
広島を
見て
笑った
笑って
ホッとした
んで
変わらない
我が家を
見て
笑って
ホッとした
んで
自分の部屋
見たら
なんか
勝手に
模様替えされてた・・・
それはそれで
うけた
(笑)
ご飯は
父と
母と
弟と
3ヶ月ぶりの
4人での
食事
だった
私の
てんかんは
たいしたことない
って言ったら
怒られるかもしれないけど
てんかんか
てんかんじゃないかと
言われれば
間違いなく
てんかんで
でも
ぎりぎりてんかん
みたいな
感じがする
みたいな・・・
この辺の
ニュアンス
難しいんだけど
何が言いたいかっていうと
そんな
ぎりぎりてんかん
みたいなのに
なんで
私は
てんかんなのか?
そして
なんで
「てんかん」
なのか
他の病気
ではなく
「てんかん」
だったのか
そこには
ちゃんと
意味がある
私は
他の病気ではなく
「てんかん」で
よかったと
思っている
てんかんは
とても難しい
まずはてんかん患者自身が
てんかんを理解しなければいけない
また
てんかんには誤解や偏見がある
そして
個性のある病気
色んな患者がいる
私は
てんかんを通して
ホントに多くを学んだ
そして
これからやるべきことも
たくさんある
てんかんに対して
やるべきことが
ある
それが
私が
てんかんである
意味だと思う
「私」
がてんかんである意味
今日で
「SANAMIの闘病(?)日記」
は幕を閉じます
今まで読んでいただき
本当にありがとうございました
みなさんに
読んでいただけていたことは
私の励みになっていました
本当にありがとうございました
これからは
私の
新たな
スタートが
始まります
これからも
頑張って生きていきます
いつまでも
言葉を大切に
感謝を忘れず
生きていることを感じて
私らしく
ありがとうございました
これからの
私は
「SANAMIの徒然日記」
sanamiturezure.blog.shinobi.jp/
でお会いしましょう(笑)
本当に
ありがとうございました
PR
静岡
最後の夜
ようやく
迎える
最後の夜
私は
ここで
本当に
多くのことを
学び
感じ
想い
得た
どこにいようと
どんな環境にいようと
自分次第で
いくらでも
成長できる
自分次第
と
思っていた
けれど
私は
彼女
彼らに
成長
させて
もらっていた
あの時
愛ちゃんが
発作を起こしていなかったら
あの時
愛ちゃんが
話しかけてくれていなかったら
あの時
おじいちゃんが
「釈ちゃんご飯一緒に食べようよ」
と声をかけていなかったら
あの時・・・
あの時・・・
あの時・・・
が
いっぱい
ある
もし
「あの時」
が
全て
なかったら
私は
ここまで
何かを
感じる
事は
なかっただろう
私が
ここで
ここまで
精一杯
日々を
生きることは
なかっただろう
私は
彼女
彼らに
多くの
成長の糧を
与えられ
生かされ
ていた
本当に
ありがとう
あなたたちの
おかげで
私の
人生は
本当に
大きく
変わりました
私の
ものの
見方は
大きく
変わり
生き方が
変わりました
とても
大切な
3ヶ月
です
私の
財産です
私が
支えられ
与えられて
いたのは
もちろん
この中だけではない
わざわざ
静岡まで
きてくれた
友人たち
ブログを
見てくれていた
友人たち
メールをくれた
友人たち
広島で
待ってくれている
友人たち
彼らの
存在は
とても
大きい
私を
勇気づけ
私の
心を
温かくし
私に
笑顔と
頑張ろうと
する
元気を
くれる
彼らの
存在
そのものが
私の
財産だ
そして
感謝をする
本当に
ありがとう
それから
私の
足長おじさん
あなたが
いなければ
私は
本当に
ここまで
頑張っては
これませんでした
私が
ブレることなく
前だけを見て
走ってこれたのは
あなたという
軸があったからです
私を
見守り
励まし
共に
戦って
くれて
本当に
ありがとうございました
最後に
お父さん
お母さん
私の
想いを
解ってくれて
ありがとう
そして
お父さんも
お母さんも
前を向いてくれて
ありがとう
私の
幸せを
願ってくれて
ありがとう
私は
ちゃんと
幸せになるから
これからも
頑張って
生きるから
これからも
見ていてください
私は
明日
広島に
帰る
最後の夜
ようやく
迎える
最後の夜
私は
ここで
本当に
多くのことを
学び
感じ
想い
得た
どこにいようと
どんな環境にいようと
自分次第で
いくらでも
成長できる
自分次第
と
思っていた
けれど
私は
彼女
彼らに
成長
させて
もらっていた
あの時
愛ちゃんが
発作を起こしていなかったら
あの時
愛ちゃんが
話しかけてくれていなかったら
あの時
おじいちゃんが
「釈ちゃんご飯一緒に食べようよ」
と声をかけていなかったら
あの時・・・
あの時・・・
あの時・・・
が
いっぱい
ある
もし
「あの時」
が
全て
なかったら
私は
ここまで
何かを
感じる
事は
なかっただろう
私が
ここで
ここまで
精一杯
日々を
生きることは
なかっただろう
私は
彼女
彼らに
多くの
成長の糧を
与えられ
生かされ
ていた
本当に
ありがとう
あなたたちの
おかげで
私の
人生は
本当に
大きく
変わりました
私の
ものの
見方は
大きく
変わり
生き方が
変わりました
とても
大切な
3ヶ月
です
私の
財産です
私が
支えられ
与えられて
いたのは
もちろん
この中だけではない
わざわざ
静岡まで
きてくれた
友人たち
ブログを
見てくれていた
友人たち
メールをくれた
友人たち
広島で
待ってくれている
友人たち
彼らの
存在は
とても
大きい
私を
勇気づけ
私の
心を
温かくし
私に
笑顔と
頑張ろうと
する
元気を
くれる
彼らの
存在
そのものが
私の
財産だ
そして
感謝をする
本当に
ありがとう
それから
私の
足長おじさん
あなたが
いなければ
私は
本当に
ここまで
頑張っては
これませんでした
私が
ブレることなく
前だけを見て
走ってこれたのは
あなたという
軸があったからです
私を
見守り
励まし
共に
戦って
くれて
本当に
ありがとうございました
最後に
お父さん
お母さん
私の
想いを
解ってくれて
ありがとう
そして
お父さんも
お母さんも
前を向いてくれて
ありがとう
私の
幸せを
願ってくれて
ありがとう
私は
ちゃんと
幸せになるから
これからも
頑張って
生きるから
これからも
見ていてください
私は
明日
広島に
帰る
気づけば
というか
退院日を
無理矢理
22日に
したせいか
残り時間が
めちゃわずか
なので
なんだか
バタバタと
身辺整理を
し始めて
みたりした
軽く
荷造り
とか?
友達に
手紙を
書いたり
とか?
友達と
オセロ
したり
とか?
友達と
おしゃべり
したり
とか?
パソコン
作業を
詰めたり
とか?
友達に
餞別を
あげたり
とか?
くだらない
身辺整理
かもしれないけど
ここで
やることが
一つ
ずつ
減っていく
朝ごはんは
後2回
お昼と
晩ごはんは
後1回
ここのお風呂は
もう入らない
顔は
後3回
洗う
洗濯は
後1回
そして
この
ブログは
後2回
このブログの1ページ目に
「今後の自分の人生設計を見つめ直し、「てんかん」も含めどう生きていきたいのかを
ちゃんと考えようと思っています。」
と書かれてあった
そして更に
「日々思うことを綴ることで、これからに繋がる「何か」がつかめたらと思っておりまする☆」
とも書いていた
多分
何も
考えずに
書いたと思う
けど
毎日
書いているうち
本当に
これからどう生きたいかを考えた
そして
これからに繋がる「何か」がつかめた
そして
私の
ブログは
100ページを
超えた
「継続は力なり」
私が
ここにきて
ブログを
書かなかった日は
本当に
1日もない
ブログを
通して
私の
成長過程が
自分で
いうのも
なんだが
見て取れる
と
思っている
そんな
ブログも
後2回
最後まで
私らしく
大切に
一言
一言
に
魂を
込めて
私は
ブログを
書く
というか
退院日を
無理矢理
22日に
したせいか
残り時間が
めちゃわずか
なので
なんだか
バタバタと
身辺整理を
し始めて
みたりした
軽く
荷造り
とか?
友達に
手紙を
書いたり
とか?
友達と
オセロ
したり
とか?
友達と
おしゃべり
したり
とか?
パソコン
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詰めたり
とか?
友達に
餞別を
あげたり
とか?
くだらない
身辺整理
かもしれないけど
ここで
やることが
一つ
ずつ
減っていく
朝ごはんは
後2回
お昼と
晩ごはんは
後1回
ここのお風呂は
もう入らない
顔は
後3回
洗う
洗濯は
後1回
そして
この
ブログは
後2回
このブログの1ページ目に
「今後の自分の人生設計を見つめ直し、「てんかん」も含めどう生きていきたいのかを
ちゃんと考えようと思っています。」
と書かれてあった
そして更に
「日々思うことを綴ることで、これからに繋がる「何か」がつかめたらと思っておりまする☆」
とも書いていた
多分
何も
考えずに
書いたと思う
けど
毎日
書いているうち
本当に
これからどう生きたいかを考えた
そして
これからに繋がる「何か」がつかめた
そして
私の
ブログは
100ページを
超えた
「継続は力なり」
私が
ここにきて
ブログを
書かなかった日は
本当に
1日もない
ブログを
通して
私の
成長過程が
自分で
いうのも
なんだが
見て取れる
と
思っている
そんな
ブログも
後2回
最後まで
私らしく
大切に
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一言
に
魂を
込めて
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